S.I.さんの場合
※2021年12月現在の情報です。
取り立てて話すようなことは無い、なんてことのない普通の生い立ちだ。
車の走る音、明るい街並み、整備された細い路地からは子どもたちの笑い声が聞こえる。小さいころからあまり変わらない景色だ。
戦隊ヒーローや恐竜が好きな、どこにでもいる普通の子供だった。
今振り返れば、何不自由ない幼少期を過ごしていたように思う。
幼稚園に入るころには、祖父に買ってもらったゲームボーイで遊ぶようになっていた。
なぜゲームをするのか、考えたこともないくらい、生活の一部だった。
小学校に上がると、休みの日は決まって友達の家に集まりゲームで遊ぶのが日常だった。友人と集まってゲームをするのが楽しかった。
僕があまりにもゲームに夢中になってしまうからか、小学校6年生のころ、スポーツ少年団で空手を習わされた記憶がある。
中学校に上がるのを機に、辞めてしまったが。
ありふれた挫折だったと思う。
小学校では得意に思っていた勉強が、中学に上がった頃から、思うような成績が徐々に取れなくなっていった。
それくらいの時期から、何事に対しても熱意がない醒めた子供のように、周囲からは見えていたのかもしれない。
勉強は好きじゃなかったが、秀才だった父親からのプレッシャーもあり、高校受験は自分が行ける範囲で偏差値の高い進学校を選んだ。
高校時代も、相変わらずゲームは好きだった。
小さいころに比べればゲームへの熱量は落ちていたけれど、
友人とゲームを通して共有した時間は、僕にとって大切な思い出だ。
大学受験のときも、両親からの高い期待と強いプレッシャーを受けながらも、塾には行かず、独学で試験勉強をした。
将来はモノづくりに携われるような仕事をしたくて、工学部を選んだ。
その中でも、昔から好きだったゲーム作りを、と考えた時期もあったが、成績が思うように伸ばせず、結局受験の時は第一希望とは違う学科を選んだ。その程度の熱意だった。
結局、両親の期待に応えられた子供ではなかったなと思う。
大学も4年生になった頃、地元就職向けの企業説明会で初めてBTVを知った。
たまたま目に入って、なんとなく話を聞いた。
BTVに惹かれた理由は、地元に根ざした企業活動、地域の埋もれている魅力を取り上げて広めるのっていいな、とその頃の僕が思っていたからだ。
ケーブルテレビは地元密着の企業で、当時の志望動機と一致することもあり、BTVに入社することを決意した。
僕の入社した頃、BTVはまさに怒涛の時代。
BTVで最初の配属は本社技術部、都城エリアでの勤務だった。
ちょうど西諸エリアの拡張が進んでおり、業者の管理、工事ノルマの集計、業者手配、進捗確認……碌な研修もないまま即実務。実践と失敗の連続だった。
同期と夜遅くまで試行錯誤を繰り返して、仕事を覚えた記憶がある。
それから数カ月後、志布志エリアが開局して、先輩と2人異動になった。
志布志エリアはBTVとしては初の、全域FTTH方式の光サービスエリアだ。
はじめのうちは、先輩の下で学びながら職務に臨んでいたが、
その先輩も半年足らずで本社に異動になり、1人取り残された。
―――自分でやるしかない。
先輩の助けや、ベンターの担当には機器仕様やシステムの仕組み、その他多岐にわたってFTTHのノウハウを教えてもらった。
やらなければならないことを、ただただ忠実にこなした。
そんな志布志局で4年間の勤務を経て、地元鹿児島市へ戻ってきた。
鹿児島エリアは、FTTHとは根本的な仕組みが全く異なるHFC方式という旧来のシステムでサービス展開されていたため、また一から技術を学びなおした。
HFCはFTTHと比べると、運用・保守・管理していくにあたり、厄介なことが多い。伝送路上にはアクティブ、パッシブ問わず機器が多数、それゆえ故障個所の特定にも時間を要する。
自分自身に課せられた責任を自覚して仕事をしていくうちに、いつの間にか、スキルが上がっていった。
今、鹿児島エリアのFTTH化の構想をしている。
どういうシステムを使って、FTTH化できるか練っている。
異動してから、ずっとFTTH化の重要性を訴えてきた。
鹿児島市内は光サービスじゃないと、他社には勝てない。
今のままでは時代に取り残されてしまう。
企業として生き残るために、時には抜本的な改革も必要だ。
漸く、第一歩を踏み出したところだ。
風景を切り取るのが好きだ。
季節ごとに移り替わる景色を、その時の気持ちと共に一枚の写真に込めたい。
思い出を残したい。写真を撮るために遠出をすることもある。
写真を撮りに出かけた後は、カフェで甘いものを食べる時間が好きだ。
仕事をしていく中で、いくつかの資格取得に挑戦した。
いつの間にか主任という役職にも就いた。
自分の事ばかりではなく、部下の教育や相談に乗ることも多くなった。
どのように部下の自主性を促しながら、モチベーションを高めつつ業務に取り組んでもらうか、日々悪戦苦闘中だ。
目の前の責務を誠実に熟しながら、今日も地域のインフラを支え続ける。