J.T.さんの場合
※2021年12月現在の情報です。
物心ついた頃には、父とキャッチボールをしていた。
じりじりと焼けるような日差し、突き抜けるような青空、
整備されたグラウンドで、汗と砂にまみれながら仲間たちと練習をする。
僕の記憶の大半は「野球」で占めている。
幼いころは好奇心旺盛、率先して何でもやってみたい子供だった。
小学生のころ、父が監督をしていたチームでキャプテンになった。
家の中では無口で野球について話さない父だったが、
グラウンドで「監督」はとても厳しかった。
「監督の息子」という立場上、勝利へのプレッシャーに押しつぶされそうになったり、
仲間の野球に傾ける熱意の差異でぶつかり合ったりした。
仲間との壁を感じた。次第に友人関係を壊しても、キャプテンとして振る舞わなければならない立場に、嫌悪感を抱くようになった。
中学に上がっても野球を続けた。また、キャプテンをした。
自分を振り返っても厳しいキャプテンだったと思う。
やりがいは確かにあったが、キャプテンという立場への嫌悪感は増すばかりだった。
高校時代は、あまり背も伸びず、思うように体が動かなくなり、スランプに陥った。
朝7時から朝練が始まり、授業開始ギリギリまで、練習。
終礼が終わったら走ってグラウンドに向かい、アップして夜9時まで野球漬け。
監督からの厳しい要求に、答え続ける日々だった。
「野球をやめたい」と両親に話したのはこの時、最初で最後だった。
両親はただただ、肯定でも否定もなく、拙い僕の話を聞いてくれた。結局、野球はつづけた。
高校の野球部ではキャプテンではなく、副キャプテンになった。
今までの経験を生かして、上に立つ人の立場も理解できたし、
仲間のサポートもスムーズに行うことができた。
僕にとってこの立場は適所だと、そう感じた。
スランプが収まった頃には、僕の高校野球は終わっていた。
大学は野球の推薦で決まった。
結局、あの頃の僕には野球が全てだった。
あんなにつらいことばかりだったのに、気づくと、足はグラウンドに向かってしまう。
仲間たちと笑いあい、励ましあった記憶が、僕を進める。
「ああ、やっぱり僕は野球が好きなんだ。」
苦しくも楽しかった野球のコミュニティは、後々、僕にとってかけがえのない財産となる。
大学でも、もちろん野球は続けた。
高校より練習量はぐっと減ったが、練習も、試合も、遠征も、心の底から楽しかった。
思えば、野球を楽しいと思えたのは、大学時代が1番だったかもしれない。
就職を考えたとき、地元に戻ることを決意した。
真っ先に、思い浮かんだのはBTV。BTVは野球部の撮影で、小学生のころからよく知っていた。
テレビ業界。地元のケーブルテレビとは言え、僕にはキラキラした職場に見えた。
ケーブルテレビが撮影した野球チームの、僕が映ったDVDは、今でも1番の宝物だ。
野球部の繋がりで、お世話になった先輩や知り合いからBTVの情報を聞いた。
BTVに決めた僕の決定打は、充実した福利厚生だった。
漠然としていて、やりたいことが明確ではなかった。
ただ、自分の野球を見守ってくれていたBTVに「恩返し」がしたかった。
営業研修。1回目のキャンペーンは、あと10件。未達成が悔しかった。
2回目のキャンペーンでは、社員と同等の件数で達成できた。
「鉄は熱いうちに叩く」僕の戦略が、功を奏した。社内で一人、ガッツポーズをした。
選択の時、僕はもっと営業部で経験を積みたいと感じていた。
それと同時に、人事や労務の仕事も魅力的に映っていたが、
「僕には無理だ」と目をそらしていた。
ある日、部長に呼び出され、自分が人事・労務の担当が決まったことを告げられた。
不安だったが、せっかく任された仕事から逃げたくなかった。
人事の仕事は、0か100か。給与計算、社員情報の更新…常にアンテナを張りめぐらせる。
絶対にミスが許されない、出来て「当たり前」の業務だ。
慎重すぎるほど確認をするため、1業務に時間がかかりすぎることを悩んでいた。
BTVは上司と部下の距離が近い。僕の相談にも親身になって、的確なアドバイスをくれた。
自信をつけるために資格の勉強も始めた。
採用担当は、会社のイメージ。良い印象を持ってもらえるように努力している。
コロナで学生と接点が持てない現状を打開するため、オンラインイベントに積極的に参加している。
常に笑顔でいること、これだけは胸に刻んで。
まだ、行ったことのない土地へ、出かけるのが好きだ。
自然の静謐な空気を五感で感じるのが好きだ。
野球をしていたころに、知らない土地へ行くことも多かったが、
自由に出歩いて散策することはなかった。
みんなで和気あいあいと、野球やゴルフをするのも楽しいけれど
新鮮な空気で深呼吸しながら、自分自身を振りかえる時間も大切にしている。
小学生のころ試合で優勝したことがある。
「監督」が「よくやったな」と包み込んでくれた時、
自分の頑張りが認められた安堵か、胸のつかえが取れたように感じた。
中学生時代最後の試合で、チームメンバー21人全員で涙したことは、今でも鮮明に思い出す。
泣くほど真剣に、野球と向き合ってくれたことに、感謝した。
あの高校時代を乗り越えたことで、多少のことでも乗り越えられる忍耐力がついた。
「あのころに比べれば」と荒波を乗り越えられる自信がついた。
学生、最終内定、入社から見てきた後輩が、日々成長していく姿が刺激になる。
学生が平等に、就職試験に挑める環境を作りたい。
社員が益々、生き生きと働ける環境を整えたい。
いつか、BTVで働いてよかったと、心から思ってもらえるように。
僕の挑戦は、まだまだこれからだ。