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  • ピッキーSUN

    ㈱日東/日東フローリング㈱ 社長 東 達郎さん (60歳)

    私の足跡はすべて山に残してある

     私の心はすべて山に映してある

                三郎

     会社玄関横の銅像の碑に刻まれた日東林業㈱の創業者・故東三郎社長の遺訓が毎日出勤してくる社員を見守る。「弊社の創業の原点は山。だから創業の心を大切にしてほしい」―。碑文は、そう訴えている。その遺志を受け継いで、桧端尺材を活用した集成床材・壁板等の生産で27年間、日本一を継続している桧フローリング材の会社がある。

     同社の社是は「創意工夫」。既成概念にとらわれない社員のアイデアをものづくりに活かし、品質にこだわり続け、全社一丸となって普及推進を図る。創業者の「もったいない」を大切にする発想から生まれた企業は、便利で快適な住宅ニーズを追求する中で付加価値製品を次々と開発、環境にやさしい快適空間の創出に貢献する企業に育っている。

     創業は昭和26年。三郎社長が立ち上げた日東林業。20年間は一般的な製材所として事業を展開。ある日、営林署に出入りしていた三郎社長が目にとめた桧の根曲がり材。なんとなく発した「もったいないな」の言葉に「ただでいいよ。持って帰れ」の返事。そこで何か新製品はできないか―と持ち帰り研究を始めた。根っこの部分で曲がっているが節が少ない。トロ箱や下駄の材料ぐらいしか用途を見出せない端材だったが、「材料としては最高の品質」とほれ込み、3年間かけて乾燥、加工・接着技術などを工業試験場で勉強、昭和44年に試行錯誤の末、フローリングとして製品化、販売をスタート。長さがまちまちの乱尺フローリングだが継ぎ合わせれば立派な床材。

     最初は「そんなものが…」と見向きもされなかったが、和式から洋式へ日本の住宅事情が変化を遂げる中、時代の潮流にも乗り、フローリング床材は注目を集め、1年半後から好調に販売を伸ばした。

     木質系床材(フローリング)は、日本の家屋に心地よい風合いと機能性を持つ本物志向の床として普及が進む。天然の木目と独特の色調も人気。湿度の高い夏は室内の湿気を吸収、乾燥の冬は蓄えていた湿気を逆に放出する役割を果たし、自然の湿度調整機能がある。地球環境面からも優等生的存在だ。

     平成3年に達郎社長が二代目として就任、社名を日東林業㈱から㈱日東に変更。施工の手間が半分ですむ施工省力化商品「ワイドシリーズ」(床材の幅を2倍にした商品)を2億円かけて開発。最初は、なかなか売れずに苦戦。そこで施工現場の一線で働く大工さん、工務店などに全社員で売り込みをかける地道な拡販作戦を展開、半年かけて市場を開拓、販売を軌道に乗せた。次は厚みを薄くした「スリムシリーズ」、スロープ加工を施した床暖房対応の「ぽかぽかくんシリーズ」、コンクリートの上に直接施工する「じか張りフローリング」。そして「カラーフローリング」、高齢者の転倒防止に配慮した「コロばーズ」、「ウッディーカーペット」(特許商品)と、次々にニーズを汲み取ったアイデア商品を開発、市場への認知を図った。

     平成12年には中国へ進出、大連、廈門、昆明の3工場と業務提携、サクラ、ナラ材を中心としたフローリング、壁材を生産。平成20年には販売部門を分社化して日東フローリング㈱を設立、流通部門の改革を図った。昭和61年に桧床材生産量日本一になり、以来27年間この座を守り通し、グループ合計で11億円の売り上げを達成するまでに成長した。

     社是の「創意工夫」、本物志向にこだわる「品質第一」は創業以来のモットー。達郎社長は「情報を入手したら、ダメモトでいいからまずチャレンジ。できない、無理と諦めずにプラス志向で前進」と、社員にハッパをかける。三郎社長の残した教訓を守り継ぎ、「創業の原点は山だから、川上(山)からよくしないと報われない」と達郎社長は、常に原点回帰の経営を日々実践している。従業員数は110人。

    ㈱日東/日東フローリング㈱
    都城市早鈴町2130-1

    石原真子さん

     静と動、それは一体感―。日本の伝統文化・書の指導を通じて〝書の心〞を多くの若者に伝え、そして同時にアート書道、パステル画、写経、花文字と多彩な活動に情熱を注ぐ若手の指導者がいる。都城市高城町の書道教室講師、石原真子さん(47)。「子どもたちに心がウキウキするような文字の面白さを伝えたい」と、女性らしい感性を活かして、書道の魅力である力強さとしなやかさを教えたいと、毎日元気に奔走している。
     石原さんは、大阪府出身。小学校に上がる前に都城に転居。小学校の時に祖母から「書道をやりなさい」と勧められて半信半疑で始めた。「読み書き算盤。芸は身を助ける」と言うおばあちゃんのひと言がきっかけだった。
     始めてみると、「楽しい!」―。ごく自然にこの世界にのめり込んだ。活発で、中学時代はバスケットボール部に所属。スポーツの〝動〞に対し〝静〞を求める書道のすばらしさ、楽しさを体感する喜びを覚えた。祖母のお蔭で始めた書道が今は生涯をかけて取り組む仕事になった。
     楽しんで学ぶ書道―。普及に向けてパステル画、花文字、ハングル書道などを組み合わせてバラエティーに富んだ書道教室を開き、最近では〝静と動〞を組み合わせたパフォーマンス書道に挑戦中。イベントにも積
    極的に参加、観る人に感動を残している。
     
    20代の時に書道家・吉川心道先生に師事。現在は、月に一回、福岡まで出掛けて書道家・尾崎邑鵬先生の指導を受けている。まだ若いが書道の世界ではベテランの域に入りつつある。毎年、宮日美展に作品を出品、奨励賞の受賞経験がある。入賞作品は「人はいさ」。繊細にしなやかな心でチャレンジした作品。本人は「まだまだ未熟。私の作品が入賞するなんて…」と、謙遜するが、周囲の人の評価は高い。
     現在、宮崎市、都城市、日南市、野尻町など計9ヵ所で書道教室を展開。教えている生徒は3歳から70 歳くらいまで150人にのぼる。石原さんが、これまでに構築してきた厚くて幅広い人脈を物語る。
     書道と言えば、白い紙に墨で文字を書くモノクロの世界。この書に色をつけるとどうなるか、文字を絵感覚で教えて関心を持たせたい、子どもたちに興味を持たせるためにさまざまな工夫を凝らした。指で描くパステル画、アート書道、韓国の花文字など普及へ向けた石原さんの取り組みは、子どもたちのハートをとらえて離さない。「私が型にはめられると逃げたくなる性格だから。絵心は、そこから始まったような気がします」と、石原さん。
     とくにパステル画は、ピンク、ブルー、グリーンなど爽やかな色合いの絵の上に書道文字が躍る。素敵なバランスが見る人の心を魅了する。アート書道は、絵心を取り入れた豪快で繊細かつ躍るような文字が心豊かな世界を表現する。最近、ブームになっているイベントでのパフォーマンス書道は、女子高校生たちの活躍の場を広げている。石原さんの書道教室に通う高校生たちは、部活で運動部に所属しているケースが多く、元気な子がいっぱいだ。彼女たちもまた、石原さんと同じように静と動の世界を楽しみながらパフォーマンス活動に励んでいる。昨年1月に高校生書道グループ「みやこん女」を結成。色々なイベントでパフォーマンス書道を披露し、今年3月には、「みやこんじょボランティアフェスティバル2012」に出演。彼女たちの書く力強い文字とアートで被災地の人たちにエールを送った。手作りの大筆に墨をたっぷり付けて豪快に文字を描く姿は圧巻だ。
     また、今年からスタートした写経は、20〜40歳代の女性が多い。会員はまだ5人と少ないが、一行一行の言葉、意味をしっかり学ぶ講座。そこには、形だけでなく、あくまでも本物、真髄にこだわる追求の姿勢が垣間見える。
     このように多彩な活動を仕掛けて次々に成功させている石原さん。口から突いて出る言葉は「多くの人との出会いが私を学びに導いてくださり感謝しています」と、常にプラス志向。活動を通して人脈を拡げている。物怖じしない旺盛なチャレンジ精神は、タフさを感じさせる。
     書道教室の教え子たちの中には「将来、先生のようになりたい」「書道を通じて大成したい」と言う声も上がっており、将来の後継者たちが着実に育っている。